自己中心で地球を歩く 〜散歩とコペルニクス〜
東京ではもう開花宣言。自分の住む街も開花しているのかな。そう思いながら、桜を見てみるとまだまだ咲きそうもありません。桜が咲くのが楽しみだな。そんなことを考えながら今日も散歩。
そんな穏やかな気持ちも束の間、一歩一歩踏みしめながら歩いているとなんだか不思議な感覚に見舞われました。
自分が前に進んでいるのだろうか、それとも自分は常に止まっていて地球が後ろに回っているのだろうか。
ちょうどサーカスのピエロが球の上で歩いていて、ピエロは動いていないが球が動いているのと同じではないか。
←こんな感じ
もちろん自分が前に進んでいるのです。しかし地上にいる自分にはそれは判別できることでしょうか。
あれは中学の修学旅行でした。みんなで電車に乗っていたときのことです。電車が駅に着き、しばらくの間停車していました。窓の向こうにはもう一台の電車があって、同じ修学旅行生でしょうか、同じ年頃の子どもが乗っています。悪ふざけで手を振ると振り返してくれたり何となく盛り上がっていました。「まだ動かないのかな」と不満の声が出始めたころ、ようやく電車は動き始めました。やっと出発した………。のは自分の乗っていた電車ではなく、隣の電車だったのです!
自分が動いているか、相手が動いているかは分からない。周りの景色を見て初めて分かることなのです。
まとめ --コペルニクス地動説
自分の状態というのは他のものを通してしか見ることができません。しかし、私たちは自分の見えるものだけで様々な判断をしがちです。長い間地球は止まっていて周りの星が動いていると考えられていたのも、私たちは簡単に笑うことができるでしょうか。
自分主体で判断するのではなく、相対的に判断する難しさと大切さを感じました。
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