【考察】タイムマシンは50年内にできない!
先日『夏への扉』という小説を読んでいるときにふとひらめいた。そして考え込んでしまったことを綴ります。
この小説には、コールドスプレーといって体を冷凍させて、未来(例えば50年後)に解凍させることによって50年後の世界にタイムスリップできる、そんな技術が開発された世界について描かれています。このタイムスリップを巡って、過去の友人からのひどい仕打ちの原因を突き止めたりするのですが…
この本を読んでいるうちに色々と考えてしまいました。
「タイムマシンってできるのだろうか」
タイムマシンは理論上はできるというのはアインシュタインの相対性理論、特殊相対性理論についての本を読んで聞いたことはあります。理論上はできるけど技術的にできない。果たして将来実現するのでしょうか。
そんなことを考えていたら、地域でタイムカプセル(30年後開封)を埋めるというイベントの話が!そこである実験をしてみたのです。
【仮説】
タイムカプセルに次の文書を入れる
「もし2048年の世界にタイムマシンがあるなら2018年10月◯日の正午に2018年10月◯日のロト7の結果を書いた紙を自宅郵便受けに投函してください」
→もし紙が入れられなければタイムマシンはできていない。
→もし紙が入れられていればタイムマシンはできている。
こうなるだろう。
この仮説を立証すべく実験しましたが、その日郵便受けには紙は入れられませんでした…。
この仮説っておかしいよね…
よくよく考えてみるとこの仮説は色々と穴だらけです。
①タイムカプセルが破損、紛失した場合を想定されていない。
②未来の自分がタイムマシンに乗れない、面倒がって乗らない場合を想定されていない。
などなどです。
そしてさらに考えると…
そもそもこんな紙をタイムカプセルに入れるまでもなく、タイムマシンが発明されれば宝くじの番号を教えに行くなんて単純で浅はかなことをしようとする人なんていくらでもいる。誰でも考えますよね…。言われなくてもやる人くらいいそう…。しかし現実はそうはなっていない。
これを考えるとつまりこういうこと?
【結論】
自分が今後生きるであろう50年後になってもタイムマシンはできていない。
色々と無理があるでしょうか…(^_^;)
おかしいところがあればご指摘くださいm(_ _)m
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お金とはナンダ?「億男」を観てロト6を衝動買いしたダメ男が語る
果たして自分は3億円を手にするとどうなってしまうのだろうか。皆さんならどう使いますか?
10月19日に公開された「億男」を観に行ってきました。
私はおそらくダメになってしまうだろうと思います。まず仕事を辞めることを考えるだろうからです。そうなるときっとダラダラと過ごすことが目に見えています。
そして暇になるとギャンブルに手を出すだろうからです。ここまでは安易に想像することができました。
お金があるないで仕事をするかを決めるというのは、現実問題大切なことではありますが、悲しいことでもあるなと考えさせられました。
この映画を観てまず思い出したのが、この本です。
億単位のお金を手にした人がどうなっていったかなどを記したこの本。今年の初め頃に話題になりましたよね。私もこの本に登場する人の例にもれずダメになるんだろうなと思いながら読みました。
そして、この映画で問われる「お金ってナンダ?」。ホリエモンこと堀江貴文さんの著書『これからを稼ごう』では、「お金は信用である」旨のことが紹介されていました。確かに紙幣はただの紙切れです。ちなみに一万円札は原価約20円だそうです。9980円分は信用ということです。20円のものを10000円ですよというのですから信用がなければ通りません。そしていつ信用がなくなり紙切れとなるかも分かりません。天地がひっくり返るほどのことが起きたとき、価値のあるのは札束でしょうか、それともペットボトルの水でしょうか。
そんなことを思いながら映画館を後にし、ロト6を2口購入し帰宅。何をしているんだと思いながらも結果を待っているところです。私のためにもこの宝くじ、当たらないことをお祈りください!
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ミスドモーニングと西加奈子『サラバ!』
最近、休日の度にミスドのモーニングへ行っています。
朝11:00までで、ドーナツとコーヒーだと300円程で楽しめます。
コーヒーはおかわり自由ですし、ゆっくりといただきながら読書をしたりしています。
今週は西加奈子さんの『サラバ!』の上中下巻を読みきりました。
私の「今年読んだ本ベスト5」に見事ノミネートされました。本当に面白かった!
主人公の歩(あゆむ)の目線で描かれ、変わり者の姉、母、そして父と共に苦労しながら幼少期〜青年期を過ごします。出来事と心情が淡々と述べられていくように感じましたが、その出来事の一つ一つが衝撃的で読者を飽きさせません。
エジプトで過ごした小学生時代
女の子にモテたが男子との友情が幸せだった中学生時代
親友と彼女との狭間で揺れた高校生時代
遊びながらもバイトに夢中になれた大学生時代
自分に自信をもてず前に進めなくなった社会人
そして物語のラスト
下巻の物語のラストで聞かされる父の話では、上巻、中巻で張られた伏線がどんどん回収されるところは思わず唸ってしまいました。
よければ是非!おすすめです。
モーニングでゆったり読書。
とてもいい休日を過ごせた気分です。
皆様は休日、いかがお過ごしですか。
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自分の意思を貫いて生きていく
自分の意思で生きる
最近のよく本でこういった意見をよく目にします。
「他人の意思で生きるのではなく、自分の意思で生きろ」
最近このことについて色々と考えています。その通りだと思うのですが、世の中ではこの生き方はなかなか理解されてないように思います。まあこう他の人に理解されるかどうかなんて考えずに生きるというのが、この意見の本旨かと思いますが…。
なかなか受け入れられない現状
とにかくこれからは他人の目なんて気にせず、自分の思うように行動しようと考えている人も多いのではないでしょうか。しかし一方で次のような苦い意見も未だ聞かれます。
「若い人は、飲み会に出ない」
「仕事よりプライベートを優先しようとする」
「すぐ仕事を辞める」
自分勝手呼ばわりされている人も多いのではないでしょうか。
この「自分の意思で生きる」と「自分勝手だ」というのは紙一重のように思えます。「自分の意思を尊重して生きようとする人」と「組織の和を大切にしたい人」。その2者の意見は、それぞれ納得です。
ただ「自分らが若いときは上司から誘われたら断らなかった」とか昔はこうだったとか自分は嫌でも付き合っていたからといった主張。これらは過去のノスタルジーや価値観の押し付けのように思います。
みんながみんなそうではない
気を付けたいのは、みんながみんな世間の噂のような若者、上司ではないということです。若者は若者で一生懸命ですし、上司は上司で部下に気を使っているものです。若者は仕事の初心者であるのと同時に、上司も上司初心者なのです。お互い意見が食い違って悩むのも最もかもしれません。
どうすれば両者がうまく共存できるか
それは相手の価値観を思いやるほかないかと思います。どんな人でもその人の生き方をとやかく言うのはいただけません。そして、自分らしく生きるとしても他人への心遣いを怠ればそれは自分勝手と思われても仕方ないでしょう。自分勝手と思われても自分の意思で生きるという方もいるかもしれませんが、自分がそんな生き方なのは少し悲しいです。色々な本の著書で「自分の意思で!」と言っている方は、読者から憧れられてはいても自分勝手と思われることはしていないという点は見過ごしてはいけません。
さいごに
安易に違う世代や異なる価値観の人のことを悪く言うのではなく、お互いの大切にしている価値観に目を向けていきたいものです。相手の気持ちを忖度した上で、自分らしく生きるを実践していこうと思います。
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【ブログ開始1ヶ月】話し下手こそブログをしよう!
ブログを始めてもうすぐで1ヶ月となります。
初めは1日2pvとか3pvでしたが、先日初めて1日100pvを超えたり(その日だけでしたが…)少しずつ見てくださる方が多くなっていることが本当に嬉しいです。数十pvのささやかなブログですが、自分にとってそれだけの人が自分の文章を読んでくださっているのは感激です。
この1ヶ月間で13の記事を上げました。ブログを始めて自分の中で変わったこと、そしてそもそもどういう訳でこのブログを始めたのかを書かせてもらいます。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
目次
本ブログの目指すところ・意義
このブログを始めたきっかけは次の3つの動機によるものでした
1.自分の文章を世の中に発信してみたい
これまで書いた文章って結局、学校の中や会社の中だけのもので社会に発信するといったものではありませんでした。文を書くのが好きだというだけの自分のような者が、世の中に文章を発信できるのはブログというものしかないと思います。
2.自分が読んだ本の中でこれは!と思う良書を知ってもらいたい
これまでとにかく沢山の本を読んできました。中には微妙だな…と思うものもありましたが、本当にたくさんに人に読んでもらいたい本も沢山ありました。そういった本を紹介できたら嬉しいなという気持ちがあります。
3.文学の面白さを知ってもらいたい
これが一番大きな動機かもしれません。私自身、大学生の自分に近代文学の研究をしていたこともあり(文学部ではありませんが…)、多くの人に文学の面白さを知ってもらいたいという思いがありました。小説の読み方についてネットで検索してもなかなか納得できる解釈のサイトが少ないように思いました。逆に文学研究の本は難しく面白さを感じることはできません。なら自分で発信してみよう。
文学をどう読めば面白さを感じてもらえるか、どんな読み方があるのかを出来るだけ分かりやすく伝える記事を作りたいという思いで文章を書いています。【精読】の記事はまだ1つしか上げられていませんが、森鴎外『安井夫人』についてまとめた記事は「森鴎外 安井夫人」で検索すると最初の画面に出てくるようになりました。心から感激しています。少しずつ【精読】の記事も増やしていきたいと思います。
ブログをやる効果
では、ブログを始めてからどの様な効果があったのか。
文章を書くということには、「情報伝達効果」と「自己内省効果」があるといわれています。この2つをブログに当てはめて見てみます。
1.世の中に情報発信(情報発信伝達)
やはり自分の考えを見た人が得をする付加価値を少しでもつけて提供できるというのは喜びのあるものです。趣味と言ってもいいものになってきたように思います。
2.自分の考えがまとまる(自己内省)
ブログを始めて人と話すとき上手に伝わるように話せるようになったり、話題を提供できたりするようになりました。
これは書くことで自分の考えがまとまったことからくると思います。どんなことがあったかを順序立てて整理し、どんなことを思ったのかも文字にすることで整理されます。文を書くことで、コミュニケーションが円滑になったのを実感します。
さいごに
文章を書くことは日々の楽しみになるだけでなく、思わぬ恩恵を与えてくれました。ブログを書くことで、友人と職場の人と家族と楽しいコミュニケーションをとっていけたらと思います。今後とも当ブログをよろしくお願いします。
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仕事が楽しくない!?やる気が出ない!?仕事を楽しくする方法をまとめた名著『仕事は楽しいかね?』
突然ですがみなさん
仕事は楽しいですか?
今回読んでいく『仕事は楽しいかね?』でこう問いかけられ、思わずドキリとさせられました。仕事、そして人生の時間をどう使っていくかということを本書を通して考えていきましょう。
『仕事は楽しいかね?』目次
第 1章 仕事は楽しいかね?
第 2章 人生とは 、くだらないことが一つまた一つと続いていくのではない 。一つのくだらないことが〈何度も 〉繰り返されていくのだよ
第 3章 試してみることに失敗はない
第 4章 明日は今日と違う自分になる、だよ。
第 5章 これは僕の大好きな言葉の一つなんだ。「遊び感覚でいろいろやって 、成り行きを見守る 」というのがね。
第 6章 必要は発明の母かもしれない 。だけど 、偶然は発明の父なんだ 。
第 7章 目標に関するきみの問題は 、世の中は 、きみの目標が達成されるまで 、じ ーっと待っていたりしないということだよ 。
第 8章 きみたちの事業は 、試してみた結果失敗に終わったんじゃない 。試すこと自体が欠落してたんだ 。
第 9章 あの実験で学ぶべきことはね 、「あらゆるものを変えて、さらにもう一度変えること 」なんだよ 。
第 1 0章 それはね、「あるべき状態より 、良くあること 」なんだ 。
第 1 1章 もし宇宙が信じられないような素晴らしいアイデアをくれるとして 、きみはそれにふさわしいかね ?
第 1 2章 覚えておいてくれ 。「試すことは簡単だが 、変えるのは難しい 」ということを 。
第 1 3章 新しいアイデアというのは、新しい場所に置かれた古いアイデアなんだ 。
第 1 4章 きみが 「試すこと 」に喜びを見い出してくれるといいな 。
目次も見るだけで、何か参考になるものがありそうです。全14章で構成された、ビジネスマンのみならず全ての人におすすめの本です。
特に心に残った2つをご紹介します。
「退屈 と不安 」という双子にとりつかれてないか
仕事をするにあたって以下の2つの気持ちに直面することはないでしょうか。
① 仕事が退屈だな
② 職を失わないか不安だな
少なくとも一度は生じたことのある気持ちではないかと思います。どちらの気持ちになったことがあったでしょうか?
①でしょうか?
②でしょうか?
①の場合「退屈で面白くない仕事だな。もうこんな仕事辞めてやる!」
②の場合「やりがいがあっていい仕事だけど辞めされられるかもしれないから不安だな」
といった具合でしょうか。
しかし、この本に出てくるビジネスマンは①の場合でも②の場合でもないのです。
「(----)だけどきみの話から 、この国の経済が新たな双子の要素を生みだしたことがわかった。今度の双子は社員レベルで生まれている 。〝退屈 〟と 〝不安 〟という双子だ 。きみは 、この二つは 、同時には生じないと思うだろう 。だけど 、違う。人々は 、したくもない仕事をし 、同時にそれを失うことを恐れているんだ 」
『仕事は楽しいかね?』第2章
つまり、「面白くない退屈な仕事だけど、辞めさせられないか心配」という状況です。確かにこういった気持ちで働いている人は多いのではないでしょうか。
この現状に指南役のマックスがメスを入れていきます。次の章で一部紹介します。
退屈な仕事からの脱却-5章の教えから-
読み進めていて3章、4章、5章の内容が自分としてはしっくりときました。そこでしきりに訴えていたのが「色々試して毎日変えていく」ということです。
「 〈毎日 〉変わっていくんだよ ?それは 、ただひたすら 、より良くなろうとすることだ 。人は 〈違うもの 〉になって初めて 〈より良く 〉なれるんだから 。それも 、一日も欠かさず変わらないといけない 。いいかい 、これはものすごく大変なことだ 。そう 、僕が言ってるマンネリ打開策は簡単なんかじゃない 。とんでもなく疲れる方法だ 。だけどわくわくするし 、 〈活気に満ちた 〉方法でもあるんだ 」
『仕事は楽しいかね?』第5章
成功する人たちはね 、自分がどこへ向かっているかということはわかってない ─ ─ただ 、遊び感覚でいろいろやって 、成り行きを見守ろうと思っている 。
『仕事は楽しいかね?』第5章
だから僕は 、たった一つしか目標を持っていない 。毎日毎日 、違う自分になること 。これは 〝試すこと 〟を続けなければならないということだ 。そして試すこととは 、あっちにぶつかりこっちにぶつかり 、試行錯誤を繰り返しながら 、それでもどうにかこうにか 、手当たり次第に 、あれこれやってみるということだ 。
『仕事は楽しいかね?』第5章
私たちは毎日を同じように過ごそうとします。それは変化を嫌う人間という生き物ですから当たり前です。しかし、あえて毎日試行錯誤して変えていくことに価値があります。毎日やるとなると本当に大変なことですが、小さなことからでもやっていけたら確かにすごいことが起こりそうな気がします。
さいごに
様々なビジネス本がある中で、この本の特長はストーリー仕立てになっていて分かりやすいという点です。また、事例や名言も多く説得力のある文章でした。仕事が楽しくないと感じたとき、もう一度手に取りたい一冊です。
通常盤は大雪のため飛行場で足止めをくらったビジネスマンが主人公で、まんが盤は進路に迷っているOLの話で舞台はカフェとなっています。通常盤の方が詳しくは書かれていますが、まんが盤の方が理解しやすいのでさっと理解していきたいかたはまんが盤がおすすめです。
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秋空に響く友人からの叱責 -僕の体育祭-
今週のお題「運動会」
幼稚園、小学校、中学校、高校と10回以上の運動会を経験してきたことになるが、心にわだかまっているのが高三の体育祭だ。実に体育祭への取組みというものは自分たちの生き方の縮図である。そう思わされたのが、この高校最後の体育祭であった。青春の代名詞である体育祭に、あろうことか炭を塗りたくった者がいる。
私の通った高校は9月2週目の体育祭に向けて、夏休み後半から練習を行う。応援合戦が盛んな学校だけあって夏休みが始まった頃から準備する生徒もおり、彼らは純粋に青春を謳歌していた。団の中心となって指揮をする応援団長、そしてそれをサポートする応援リーダーたちが脇を固めた。その年も10名ほどの精鋭部隊からなる応援団幹部が結成され、水面下での準備が進められていた。そんな熱心な精鋭たちに多少なりとも敬意を抱いてはいたが、何故そんなに熱くなれるのかと圧倒的に不思議を思う気持ちが優っていた。応援団長は中学のときに同じ部に所属していた戸村くんだというのを聞いたのはお盆前の補習最終日だった。
お盆が明けて私たち「平団員」も練習に参加することとなった。別段嫌な気持ちはなく、純粋に高校最後の体育祭を楽しもうという気持ちすらあった。しかし練習は想像していたより大変なものだった。お盆明けの残暑の中、グラウンドで振り付けとも踊りともいかない動きを延々と続けるのだ。青春を謳歌するどころか、二度と立ち上がれなくなってしまいそうだ。それでもこれは高校最後の体育祭、暑い中も応援合戦で優勝して僕の人生ノートに青春の1ページを綴ろう。僕はまだまだ17歳、辛くても辛くてもその先に感動がある、一緒に汗をかける仲間がいる。僕は確固たる思いでグラウンドに立ち続けた。こういった殊勝な心掛けが折れたのは4日目からだった。3日で僕は暑さに負けたのだ。
体育祭の練習期間とはいえ、自分たちは仮にも受験生である。学校の近くの交差点にたたずむ予備校に掲げられた「センターまであと150日」の文字を見るたびに心がビクビクしているのが意識せずとも分かる。英単語すらろくに覚えていない私は、受験生という焦りから練習の4日目のその日、図書館に足が向いていた。グラウンドではない。4階にある図書館は風が通って心地よかった。図書館内を見渡すと練習に耐えられず、もしくは耐えようともせず逃げてきた体育祭落武者たちが席を占めていた。この光景が自分だけでないという連帯感を生み、僕の心を慰めた。とはいえ勉強に集中できる訳もなかった。図書館で過ごした2時間のうちのほとんどを山にかかった雲の動きを何を考えるでもなく眺めるにの費やしていた。翌日から僕はまたグラウンドに立っていた。
体育祭は紅組、青組、緑組、黄組の4グループに分かれて行われていた。僕のクラスは青組だった。練習の日にちを重ねるごとに、各団で完成度に違いが出てきて、それが分かる度に団員たちは焦った。殊に団長、そしてその取り巻き連中たちの焦りははたから見ても明らかだった。それを悟り、これまで以上に気合い入れて練習に取り組む者もいればそうでない者もいる。無論僕たちは後者だった。
練習中だったのか休憩中だったのか定かではないが、きっと練習中だったのだろう。喉が渇いたというごく単純な欲求を満たすために、僕と友人は校内にある自動販売機に向かった。当時缶ジュースでゼリー入りのジュースというものがあり、生徒にも人気であった。缶を振るとゼリーの固さがかわり、好みに合わせて各々が缶を振るのだ。僕たちは自動販売機から落ちてきた缶を思いっきり振ったり、あまり振らなかったりと振る回数とゼリーの固さの関係を研究していた。もっともそれは、ふざけて遊んでいたとも言い換えることもできる。
「何考えとんぞ!!オイィィィ!!」
大きな怒鳴り声がこちらに向けて浴びせられた。見ると青組団長の戸村くんだった。初め、その声が僕たちに向けられているなど微塵も思いもしなかったが、確かにこちらに向けられているのだ。重みを持ったゼリーの缶が右手に虚しくあるのが見えた。
同級生に本気で怒られたのは初めてだった。しかも、ごもっともな事で怒られたため、僕に弁護と同情の余地はなかった。この初めての経験は、その日の練習が終わってからもじわじわと心にダメージを与え続けていた。この罪悪感からだろうか、体育祭までの残りの1週間は真面目に練習に励んだ。
本番は皮肉にも青組が優勝した。団員たちは喜んだ。もちろん戸村くんは人一倍喜んでいた。嬉しすぎてみんなの前でアクエリアス2Lを一気飲みして団員を盛り上げていた。その喜びの表現方法にはいささかの違和感を感じたが、とにかく僕たちの団は優勝した。僕もそれはそれなりに嬉しかったし、この約1ヶ月を思うと報われた気がした。
あれ以来戸村くんと口を聞いていないのに気が付いたのは体育祭の打ち上げが行われた1週間後の土曜日だった。クラスメイトに使っていない家があるというので、贅沢にもその一軒家を借りて打ち上げが行われた。とはいえ高校生の打ち上げである。2Lのジュースとピザが乱雑に並べられたテーブルが中央にあるくらいで、あとは各々のグループで盛り上がっている。時より応援団の幹部たちがみんなを盛り上げようと何やらひょうきんなことを行なっていたが、数人で盛り上がっているといった具合で特に一体感があるわけでもない。私はその生産性のないやりとりに嫌気がさし、会場を出た。秋の夜は思ったよりも肌寒くかった。しばらくぼうっとしていると家から出てこちらを向いて歩いてくる人影が見えた。近づいてくるとその人影の正体がはっきりとわかってきた。戸村くんだった。
「楽しんでる?」
その突拍子もない、そして意外な言葉に私は何も答えることができないでいた。
「まぁ、そう、楽しんでるよ」
そう答えるのがやっとだった。その後、少し他愛もない話をしたような気がするが、あの時のことが頭の中を駆け巡っていて何を話したのかは全く記憶にない。家に戻っていく戸村くんの背中は、応援団長という看板を下ろした分、小さく見えた。
夏休みを応援合戦のために費やし完全燃焼した戸村くんは有名大学に現役合格し、私は浪人生としてもう1年、受験生としての生活を余儀なくされた。高校生の頃からよく先生方はよく言ったものだ。「1つのことに全力を注ぐことができる人は、受験をしても勉強に全力を注ぐことができるから成功する。そうでない人は何をやっても中途半端で終わってしまう」この言葉がもつ的を射た意味を今になって実感する。
そんな戸村くんとは意外にも毎年1月3日に彼が地元に帰って来た時、一緒にお酒を飲む。中学校時代の部活の仲間との集まりで必ず再会している。そして僕はその時毎年彼にこうやって言ってやるのだ。
「俺は高校時代の友達に全力で叱られたことがある。叱ってきた奴。そいつはお前だ。」
そうすると戸村くんは酒をうまそうに飲みながら、嬉しそうにハニカムのだ。