トビウオ読書日和

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秋空に響く友人からの叱責 -僕の体育祭-

今週のお題「運動会」

幼稚園、小学校、中学校、高校と10回以上の運動会を経験してきたことになるが、心にわだかまっているのが高三の体育祭だ。実に体育祭への取組みというものは自分たちの生き方の縮図である。そう思わされたのが、この高校最後の体育祭であった。青春の代名詞である体育祭に、あろうことか炭を塗りたくった者がいる。

私の通った高校は9月2週目の体育祭に向けて、夏休み後半から練習を行う。応援合戦が盛んな学校だけあって夏休みが始まった頃から準備する生徒もおり、彼らは純粋に青春を謳歌していた。団の中心となって指揮をする応援団長、そしてそれをサポートする応援リーダーたちが脇を固めた。その年も10名ほどの精鋭部隊からなる応援団幹部が結成され、水面下での準備が進められていた。そんな熱心な精鋭たちに多少なりとも敬意を抱いてはいたが、何故そんなに熱くなれるのかと圧倒的に不思議を思う気持ちが優っていた。応援団長は中学のときに同じ部に所属していた戸村くんだというのを聞いたのはお盆前の補習最終日だった。

お盆が明けて私たち「平団員」も練習に参加することとなった。別段嫌な気持ちはなく、純粋に高校最後の体育祭を楽しもうという気持ちすらあった。しかし練習は想像していたより大変なものだった。お盆明けの残暑の中、グラウンドで振り付けとも踊りともいかない動きを延々と続けるのだ。青春を謳歌するどころか、二度と立ち上がれなくなってしまいそうだ。それでもこれは高校最後の体育祭、暑い中も応援合戦で優勝して僕の人生ノートに青春の1ページを綴ろう。僕はまだまだ17歳、辛くても辛くてもその先に感動がある、一緒に汗をかける仲間がいる。僕は確固たる思いでグラウンドに立ち続けた。こういった殊勝な心掛けが折れたのは4日目からだった。3日で僕は暑さに負けたのだ。

体育祭の練習期間とはいえ、自分たちは仮にも受験生である。学校の近くの交差点にたたずむ予備校に掲げられた「センターまであと150日」の文字を見るたびに心がビクビクしているのが意識せずとも分かる。英単語すらろくに覚えていない私は、受験生という焦りから練習の4日目のその日、図書館に足が向いていた。グラウンドではない。4階にある図書館は風が通って心地よかった。図書館内を見渡すと練習に耐えられず、もしくは耐えようともせず逃げてきた体育祭落武者たちが席を占めていた。この光景が自分だけでないという連帯感を生み、僕の心を慰めた。とはいえ勉強に集中できる訳もなかった。図書館で過ごした2時間のうちのほとんどを山にかかった雲の動きを何を考えるでもなく眺めるにの費やしていた。翌日から僕はまたグラウンドに立っていた。

体育祭は紅組、青組、緑組、黄組の4グループに分かれて行われていた。僕のクラスは青組だった。練習の日にちを重ねるごとに、各団で完成度に違いが出てきて、それが分かる度に団員たちは焦った。殊に団長、そしてその取り巻き連中たちの焦りははたから見ても明らかだった。それを悟り、これまで以上に気合い入れて練習に取り組む者もいればそうでない者もいる。無論僕たちは後者だった。

練習中だったのか休憩中だったのか定かではないが、きっと練習中だったのだろう。喉が渇いたというごく単純な欲求を満たすために、僕と友人は校内にある自動販売機に向かった。当時缶ジュースでゼリー入りのジュースというものがあり、生徒にも人気であった。缶を振るとゼリーの固さがかわり、好みに合わせて各々が缶を振るのだ。僕たちは自動販売機から落ちてきた缶を思いっきり振ったり、あまり振らなかったりと振る回数とゼリーの固さの関係を研究していた。もっともそれは、ふざけて遊んでいたとも言い換えることもできる。
「何考えとんぞ!!オイィィィ!!」
大きな怒鳴り声がこちらに向けて浴びせられた。見ると青組団長の戸村くんだった。初め、その声が僕たちに向けられているなど微塵も思いもしなかったが、確かにこちらに向けられているのだ。重みを持ったゼリーの缶が右手に虚しくあるのが見えた。

同級生に本気で怒られたのは初めてだった。しかも、ごもっともな事で怒られたため、僕に弁護と同情の余地はなかった。この初めての経験は、その日の練習が終わってからもじわじわと心にダメージを与え続けていた。この罪悪感からだろうか、体育祭までの残りの1週間は真面目に練習に励んだ。
本番は皮肉にも青組が優勝した。団員たちは喜んだ。もちろん戸村くんは人一倍喜んでいた。嬉しすぎてみんなの前でアクエリアス2Lを一気飲みして団員を盛り上げていた。その喜びの表現方法にはいささかの違和感を感じたが、とにかく僕たちの団は優勝した。僕もそれはそれなりに嬉しかったし、この約1ヶ月を思うと報われた気がした。

あれ以来戸村くんと口を聞いていないのに気が付いたのは体育祭の打ち上げが行われた1週間後の土曜日だった。クラスメイトに使っていない家があるというので、贅沢にもその一軒家を借りて打ち上げが行われた。とはいえ高校生の打ち上げである。2Lのジュースとピザが乱雑に並べられたテーブルが中央にあるくらいで、あとは各々のグループで盛り上がっている。時より応援団の幹部たちがみんなを盛り上げようと何やらひょうきんなことを行なっていたが、数人で盛り上がっているといった具合で特に一体感があるわけでもない。私はその生産性のないやりとりに嫌気がさし、会場を出た。秋の夜は思ったよりも肌寒くかった。しばらくぼうっとしていると家から出てこちらを向いて歩いてくる人影が見えた。近づいてくるとその人影の正体がはっきりとわかってきた。戸村くんだった。
「楽しんでる?」
その突拍子もない、そして意外な言葉に私は何も答えることができないでいた。
「まぁ、そう、楽しんでるよ」
そう答えるのがやっとだった。その後、少し他愛もない話をしたような気がするが、あの時のことが頭の中を駆け巡っていて何を話したのかは全く記憶にない。家に戻っていく戸村くんの背中は、応援団長という看板を下ろした分、小さく見えた。

夏休みを応援合戦のために費やし完全燃焼した戸村くんは有名大学に現役合格し、私は浪人生としてもう1年、受験生としての生活を余儀なくされた。高校生の頃からよく先生方はよく言ったものだ。「1つのことに全力を注ぐことができる人は、受験をしても勉強に全力を注ぐことができるから成功する。そうでない人は何をやっても中途半端で終わってしまう」この言葉がもつ的を射た意味を今になって実感する。

そんな戸村くんとは意外にも毎年1月3日に彼が地元に帰って来た時、一緒にお酒を飲む。中学校時代の部活の仲間との集まりで必ず再会している。そして僕はその時毎年彼にこうやって言ってやるのだ。
「俺は高校時代の友達に全力で叱られたことがある。叱ってきた奴。そいつはお前だ。」
そうすると戸村くんは酒をうまそうに飲みながら、嬉しそうにハニカムのだ。