トビウオ読書日和

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現代の「君主論」!慕われるリーダー、恐れられるリーダー、どっちがいい!?現代社会に通じるリーダー論

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「リーダーとしてどうあるべきか」

「部下(後輩)にどう声をかけるべきか」

一度は考えたことがあるのではないでしょうか。今回はリーダーとはどうあるべきかを説いたマキャベリ君主論をご紹介します。

君主(≒リーダー、上司、先生etc)が、どういった心構えで集団をまとめていけばいいか、この悩みの解決の一助となることでしょう。

本書が書かれた時代と背景

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マキャベリ(1469年~1529年)

フィレンツェ、今のイタリアに生まれ

15年に亘る官僚生活の末、43歳で失職。1513年、44歳の時に当時の国王に自分を再登用してもらうために、君主としての心構えを表した本書を献上した。

再就職のために書かれたというのは意外ですが、15年間の官僚生活には多くの金字があり、そこで学んだこと、考えたことが、本書の中に多くの具体例とともに紹介されています。


現在社会にも通じる『君主論

上記のように『君主論』は、戦乱のヨーロッパで書かれたものですから、確かに現在にそっくりそのまま取り入れるのが憚られるものもあります。ですが、現在社会にも通じる教訓が大いに詰まっていることも気付かされます。今回は以下の二点をみてみます。


⑴慕われるより恐れられる方がいい

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本書で次のように問われます。

恐がられるよりも慕われる方がいいかあるいはその逆がいいか(17章)


「慕われる方がいいな」と思われる方も多いのではないでしょうか。なかなか「恐がられる方がいい」とはならないですね…。

しかし本書では

「恐がられる方が慕われるよりもはるかに心配がない」

と紹介されています。どうして恐がられるほうがいいのでしょうか?

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なぜ慕われるより恐れられる方がいいか

①慕われていてもいざとなればたちまち離反する

②畏怖の心は刑罰の恐ろしさによって存するものだから、けっして忘れられはしない


つまり

いざというとき、恐ろしい君主は裏切られないが、慕われているだけの君主は簡単に裏切られる。人間ってそんなものです。だから慕われるより恐れられる君主の方がいい。


というわけです。悲しいですが、確かにそう言われるとそうかもしれません。ただしマキャベリはこうも続けています。

 

慕われずとも憎しみだけは受けないようにしなければならない(17章)

 

⑵君主は情を重んじるべきか

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いいリーダーは、情に厚く、徳を重んじるイメージがあります。しかし、マキャベリのいう君主はそうではありません。

君主として必要なのは、その身を保ちたいと思えばよからぬ人間にもなれる術を会得しておき、必要に応じてこれを使ったり使わずに済ませたりすることである。(15章)

君主はどうしても十分に獣心を使いこなす必要があるのだから、狐と獅子との二役を演じるように努めなければならない。(15章)

というのです。

狐…賢明さ、狡猾さ

獅子…強い存在

この二面性を持ち合わせ、上手に使い分けることの大切さを説いています。注目すべきは、狐の「狡猾さ」です。これについてマキャベリは例を挙げて説明しています。

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マキャベリの住むフィレンツェに対して反乱軍が反乱を起こしたことがありました。当時の王は、反乱軍が和睦を望んでいると知ると、反乱軍隊長と確執のあった腹心のロルカを処刑し、一部の軍隊を撤退させます。

これまで信頼して重用してきたロルカを処刑までしたのを見た反乱軍隊長たちは、和睦を認めてくれたと安心し、領土の一部を王に贈り、王の城に和睦のために訪れます。これで和睦が成立したかのように思いましたが、ここでなんと王はこの反乱軍隊長たちを全員処刑していまいます。


この王の名はチェーザレといい、マキャベリが名君主として紹介しています。この例にあるように目的のためには手段を選ばず、冷徹なことをしたとしても民衆を守ったチェーザレを賞賛しているのです。


この話を聞くと、少しやりすぎだなと思うところもあります。なにしろ戦乱の時代の話ですので…。目的の達成とはいっても1人を犠牲にしていいことはありません。現在ならあってはならないことだと思います。ですが、狐(賢明、多少の狡猾さ)と獅子(強さ)を使い分けるというのは頷けます。複雑な社会、人間関係の中を生きる私たちですから、多少の狡猾さも使い分けながらリーダーを務めるのも大切なことでしょう。


理想のリーダー論は

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ここまで見てきたのは今から500年前に書かれたリーダー論です。時代の流れにも関わらず今に通じるところが多くあるということはこれまで見てきた通りです。

今は従来の支配型リーダーシップに加え、サーバントリーダーシップ(リーダーが相手に奉仕し、相手を導く支援型リーダーシップ)など調べてみると多くのリーダー像があることが分かります。

リーダーはこうでないといけないと決めつけるのではなく、自分に合った、自分はこうなりたいというリーダー像を見つけ、それを実践していきたいものです。

 

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