先日の記事で2018年中にどうしても読んでおきたい本を紹介しました。
そのところ、りんご (id:ringonomiganaruki)さんとid:ai-appleteaさんのお二人におすすめしていただきましたので『モモ』を早速読むことにしました。
児童文学とはいえ400ページの大作で、少し時間がかかりましたが、大変夢中になって読むことができました。本作の主題である「時間」や「多忙感」「心のゆとり」などについて現代の生活の中に当てはめて考えてみましょう。
あらすじ ※ネタバレ注意かも
町はずれの円形劇場に住み着いた浮浪少女のモモ。彼女には不思議な力がありました。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、悩んでいてもイライラしていても幸福な気持ちになるのでした。
ある時から時間泥棒である灰色の男たちが現れ、人々から時間を奪っていきました。時間を奪われた人々はゆとりがなく日々を機械的にただ効率よく過ごすだけに。大人たちはセカセカ、イライラとすっかり変わってしまいました。それを悲しんだモモが本来の時間を取り戻すべく、仲間とともに時間泥棒たちに立ち向かうのです。
考察のポイント
この作品が、時間効率を過剰に重視した社会を風刺していることは作品を一読して明らかです。確かに自分も仕事をしていても効率よく無駄なくこなすことを第一に取り掛かっているかと思います。そして効率を求めて仕事をしている間は他人(同僚)との血の通ったコミュニケーションはあり得ません。本作はそういった状況に警鐘を鳴らしているように思いました。
では、自分にとっての時間泥棒「灰色の男」の正体は何なのでしょうか。まず、「灰色の男」ら登場人物の特徴をまとめてから、考えてみようと思います。
灰色の男や大人たち、モモの特徴
・灰色の男に時間を奪われた大人は効率を重視し、無駄を極度に嫌う
・灰色の男は人間から奪った死んだ時間を使って生きている
・モモや子どもたちは灰色の男に時間を奪われていない
現代の「灰色の男たち」の正体は
この灰色の男の正体を考える上で、主人公モモについて少し見てみます。本書に載ってある大島かおりさんによる「訳者のあとがき」に次のようにあります。
主人公のモモは、年齢も素姓もわからない浮浪児です。ほんらい、現代のように完全に組織されてしまった社会は、浮浪児というものの存在を許しません。ですからここではモモは、管理された文明社会のわくの中にまだ組みこまれていない人間、現代人が失ってしまったものをまだゆたかに持っている自然のままの人間の、いわばシンボルのような子どもなのです。
これらを整理すると
大人=社会に属し、時間を奪われている
モモ=社会に属さず、時間を奪われていない
これを考えると
時間泥棒「灰色の男」の正体は現代社会そのものといえそうです。
多忙感に支配されず自分を見失わないために
作中では、多忙感に支配された大人たちは無駄な時間を極度に嫌い、無駄があるとイライラし、我を忘れて仕事をしています。
こんな大人たちに自分を重ねてしまうところがたくさんあります。ではどうすればいいのでしょうか。ただゆっくりと余裕をもって仕事をするというのでは解決にならないですし、第一にそんなことは不可能ですよね…。実際やること多くて無駄なことをしている暇はありませんよね。
自分も仕事ではあまり雑談はしないタイプですが、それ自体悪いこととは思っていません。むしろずっとよく分からないことでワイワイ言って仕事も手についていない人たちにはなりたくないとも思います。
ですので雑談をするにも工夫が必要かと思いました。自分の場合、チームで単純作業をすることがあるのでそのタイミングで積極的にコミュニケーションをとるようにしました。これだと仕事量を減らさず、少しでも職場内の人間関係も機械的でなくなるかと思います。
バタバタとした日々を過ごさざるを得ないこともしばしばですが、自分を見失わないように気を付けたいものです。
今日からはTommy (id:mat-tsun)さんにおススメしてもらったマキャベリ『君主論』を読んでいます。
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