あるオフィスの片隅で
「あの人って変な人だよね〜」
こんな会話が
オフィスの隅から聞こえてくる。
この「変な人」に成り下がらぬよう
私たちは「普通の人」であろうと必死に振る舞うのだ。
その「変」、相対的であり絶対的ではない
しかし
ここで少し立ち止まって考えてみよう。
「変な人」というのは
そう決めつけている人にとって「変」なだけであり、絶対的な「変」ではない。
逆に「変な人」からみると
普通の人は、常識に縛られた自由のない変わった人たち「変な人」となり得る。
社会が変われば「普通」も変わる
映画『猿の惑星』
はご存知だろうか。
機体の故障で
一時的に立ち寄った惑星が
猿が世の中を支配する惑星であり、全てが猿中心の世界だ。
世の中の仕組みはもちろん、
考え方なども人間ではなく、
猿中心である。
そこでは
人間の存在、考えは「変」
猿という存在、考えが「普通」
である。
つまり
社会、社会を構成する存在が変われば
何が普通で何が普通でないかの価値観も当然変わってくるのだ。
「【変】の惑星」の普通とは?
例えば
「猿の惑星」ならぬ「変の惑星」
があるとしよう。
この惑星には
常識などにとらわれない破天荒な人ばかりが住んでいる。
この中に
常識をわきまえ、周りの人に常に気を配りながら生きる、「普通」の人が迷い込んだ。
この普通の人は
この惑星の人にこう言われるだろう
「あの人って変な人だよね〜」
まとめ
ここまで見てきたように
絶対的な「変な人」というのは存在しない。
社会や見る人によって
価値観が異なるからだ。
私たちは
天動説を信じて、なかなか地動説を受け入れられなかった祖先と同様に
なかなか自分中心の考え方から
抜け出すことができない。
しかし
少し視点を変えて考えよう。
自分が変だと思うこの考えは、
相手にとっては変である。
相手を「変な人」と決めつけた瞬間
自分も相手にとって「変な人」
となるのだから。
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今回は少しブレました…(^_^;)